豊かさの希求

豊かさってなんでしょうって話。

東京でストレスに塗れながら働いて、お金を得ている私は豊かだろうか。

私の中のおおらかさ、豊かさみたいなもの

あると信じているもの

感受性と呼ばれるもの

感受するゆたかさとおおらかさはまたべつのもんだな。

ささいなことから世の真理や己の真理を見出そうとする。

豊かにしようとしている。(貧乏性ともいう)

考えたり知識を得たり体を鍛えたりしているのは豊かになりたいから。

豊かになってどうしたいんだろう。

生き辛くてしょうがなかったのはいろんなことをコントロールできなかったから。

秩序を与えて、自分で定めたルールのもとに生きていくのは生きやすさに繋がる。

ルールを作るためには知識見聞が必要。そして力が必要なのだ。

力と知恵を得てコントロールする。安定させたいんだよね。

結局、何者にも揺らがない己を立てること。強さ。賢さ。安定の上に豊かさは広がる。

強くなりたい→なぜならば豊かに生きたいから。

豊かさとは安定して十全な力を発揮できること「少しでも有効に自分を燃焼させること」

知性、知恵、教養は自分を自由にするために必要.

 

では何から自由になるか。いつも己を追い込むのは自分だ。

自身が感じる不足感から自由になるために。だ。他の誰でもない。

自分の自分に対する評価を上げるために鍛錬するのだ。

不足だらけの人間である自分を補強し続けなければならない。

私は好き好んで自分を追いつめている。補強作業のために。

それは他人は関係ないことだ。むしろ、他人とのかかわりの中に自分の戦いを持ち込むことは弱さだ。

自身の戦いは自身の中で静かに進行させていくべき。

他人のことはわからない、変えられない。

でも、自分でどうにかできることに対してできない、わからないというのはただの怠慢だ。

己を鍛錬し続けて、知恵・力を得ることでしか己を解放できない、

豊かになれないのであればどのような怠慢も回避して生き続けるべし。

ただ、もう少しプロセスも大事にしよう。豊かさを追求するのであれば、

そこへ到達するまでの道筋にも豊かさを求めよう。

固く、冷たく閉じるのではなく、大きく広がる厳しさ、だ。

ただ、無邪気に、純粋に豊かになりたい。

豊かになる夢をずっと追っているのだ。夢を追うのは、楽しいことなのだそれは間違いない。

そういうものは東京では死んでいる。
進んで殺してるかな。進んでストレスと拘泥してるんだよな。そうじゃないとダメな気がして。